嫌な気持ちの扱いについて

最近がんばりすぎかな?

きついなぁ

つらいなぁ

いやだなぁ

ついついそんな気持ちって我慢してフタをして見ないふり見ないふり。なんともない、平気平気。気のせい気のせい。考えすぎ考えすぎ。って心のどこかに押しやることの繰り返し。

でも、それは”自分”からの心のサイン。そしてそれに気がつけるのは自分だけ。

自分がそれを無視したら、もう誰もそれに気づいてくれない。

“自分”はサインを出してる。

“これはわたしの生きたい生き方じゃない”

“これはわたしの好きなことじゃない”

“これはわたしのやりたいことじゃない”

自分がそれを無視すれば、誰もそれに気がつかないから、”自分の思い”はみんなからも無視される。

そう、とてもあたりまえのこと。

でも、”言わないこと”に慣れてしまっている。

慣らされたのかもしれないけれど、

“言わないこと”を選んでいるのは結局”自分”。

言うのは怖い。

本当に怖い。

「言ったことに責任を持て!」とか

「言ってることとやってることが違う!」とか

そもそもなにか言って責められたくない。とか。

いろんな思いが心で渦巻いて

結局口をつぐむ。

そして、すこし笑ってみて、あとで思いと違うことに悲しくなって、怒ってみたりする。

言葉に出して戦う以前に

そもそも”自分”が逃げたのに。

そんな自分への鬱屈とした思いものせて、

腹立ち紛れに誰かに当たってみたり。

でもやっぱり気持ちは晴れない。

“変わらないこと”を選びつづけている限り

この気持ちは変わることないのよね。

だれも変えてはくれない。

みんな”自分”で一生懸命。

変わるやり方すらも

だれも教えてくれない

自分で探すしかない

だって誰もほんとにはしらないんだもん

ほんとのやり方も正しいやり方なんて

そもそもないんだから。

これはそんな”自分”への戒め。

コメント

タイトルとURLをコピーしました